月曜日の朝8時45分、オフィスの給湯スペースにあるコーヒーマシンの前で、私は紙コップに注がれる黒い液体をぼんやり眺めていました。
背後から歩いてきた同僚が紙コップを手に取り、「How was your weekend?」と軽く声をかけてくれました。その瞬間、私の頭の中では「えーと、週末は家族と買い物に行って、そのあと家で映画を観ていたな」という日本語の文が組み立てられました。主語をどう置くか、買い物の動詞を過去形にして、と順を追って英語に置き換えている最中でした。私が最初の一語をまだ探している間に、同僚は小さく微笑んで「Nice. By the way, the meeting…」と続け、すでに午前中の共有事項の話へ進んでいました。
足りなかったのは単語の知識でも文法力でもなく、最初の一文を口に出すまでの3秒ほどの間でした。結局、家族と買い物に行った話は一言も出せないまま、私は「Yeah」と笑ってうなずきました。手の中に残った紙コップの熱さと、会話の入り口で取り残された気まずさだけが手元に残りました。
月曜の朝、「How was your weekend?」に間に合わなかった
同僚の足取りにも声の調子にも、私を急かす気配はありませんでした。ただオフィスの廊下ですれ違うときによくある、ごく日常的な挨拶の一往復だったはずです。
それなのに、私だけが取り残されていました。相手はすでに会議のスケジュールを確認し始めているのに、私の頭の中には「I went shopping with my family...」という英文の残骸が、宙に浮いたまま置き去りになっていました。同僚は私の沈黙を気に留めることもなく、何事もなかったように自分のデスクへ歩いていきました。気まずさを感じていたのは、おそらく世界中で私ひとりだけでした。
頭の中で訳してしまうのは、日本語の完成文を待つから
英語で話そうとするとき、なぜ私たちは頭の中で訳してしまうのでしょうか。原因は、英語を話す直前に、日本語で「言い終わった形」の整った文ができあがるのを無意識に待っているからだと感じています。言いたいことの内容をまず綺麗な日本語の文として完成させ、その完成図を丸ごと英語のパーツへ置き換えようとするため、どうしても数秒の空白が生まれます。
これは、特定の単語そのものが出てこないときの逃がし方に迷って止まる問題とは少し違います。単語も文法もすでに知っているのに、日本語の文を経由する工程そのものが、会話のテンポから遅れを生じさせているのです。
振り返ってみると、母語である日本語で「週末どうだった?」と同僚に聞かれたとき、私は毎回新しい文を一から組み立てているわけではありませんでした。「まあまあかな」「家でゆっくりしてたよ」といった決まった返事を、ほとんど無意識に近い状態で口にしています。ただ、それがそのまま英語でも同じように機能するのかどうかは、また別の話です。
よく聞かれる質問5つと、英文のままの返事5つ
この翻訳の遅れを小さくするために、その日のうちに試せる作業があります。雑談の入り口で交わされる質問は、驚くほど種類が限られているからです。最初の一往復だけでも、日本語の完成文を経由せずに済む形を作っておきます。
- よく聞かれる質問を5つ書き出す
職場の雑談や英会話の冒頭で繰り返し耳にする問いを5つ選びます。
- How was your weekend?
- How's work going?
- Any plans for the holidays?
- Where are you from?
- How are you doing today?
- 自分の実際の返事を、短い英文で1つだけ書く
日本語の下書きは書かずに、最初から英文で1文だけ書きます。凝った表現は避け、事実をそのまま置きます。たとえば「How was your weekend?」に対しては「I went shopping with my family.」だけで十分です。
- 声に出して一度言う
書いた5つの英文を、手元の紙を見ながら声に出して読んでみます。
- 質問の文字だけを見て、英文を言えるか確かめる
質問文だけを目で追い、日本語を挟まずにその英文が出てくるか確認します。
この5つとも、質問を見てすぐに最初の一文が声に出せるようになったら、その日の作業は終わりです。
私自身はこの5つの質問と返事をLingoTimに自分の言葉として登録し、朝の数分で短い想起の練習を回しています。日本語の訳を見ずに、英語の問いかけに対してそのまま短い英語を思い出す練習を繰り返しておくと、月曜日の朝に同僚から突然声をかけられたときでも、頭の中で日本語を待つ前に口が動いてくれます。もし同じように返事の遅れが気になっているなら、まずは自分のよくある質問5つだけで試してみてほしいと思います。
用意した返事は「台本」になるのか
あらかじめ用意した返事を使うことに対して、「それは会話ではなく、ただの台本ではないか」という疑問を持つ人もいるはずです。毎週同じように「買い物に行った」「家で映画を観ていた」と返していたら、どこか嘘っぽくなりますし、本当にそのとき感じていた気持ちとは離れてしまうのではないかという違和感もあります。
その懸念には、私も半分うなずけます。あらかじめ用意しておける英文は、あくまで会話のドアノックのようなものでしかありません。最初の一文を放ったあと、相手がどう返してくるかまでは台本にできないので、その先は結局その場で考えながら言葉を紡ぐことになります。
用意した短い一文で間に合わせることが、本当に「自分の言葉で話している」と言えるのかどうか。そのぎこちなさや台本っぽさが完全に消えてくれるのかは、私にもまだはっきりとは分かっていません。
2週間後、同じ質問にもう一度答えた
コーヒーマシンの失敗から2週間後の月曜日、同じ場所で、同じ同僚にまた声をかけられました。
「How was your weekend?」
質問の音が耳に届いたとき、頭の中で日本語の文が立ち上がる前に、用意していた一文が口からこぼれました。
「I went shopping with my family.」
同僚はコーヒーを注ぐ手を止めず、「Oh, where did you go?」と軽く視線をこちらに向けました。会話が途切れることなく、初めて一往復だけ自然に続いた瞬間でした。
ただ、その週末の私は、実際にはどこへも買い物に行っていませんでした。仕事の疲れが溜まっていて、土曜日も日曜日も、家でただ横になって眠り続けていたのです。遅れずに口から出た用意通りの返事と、本当の私の週末。次の月曜日の朝、どちらを優先して口にするべきなのかは、まだ決められないまま紙コップを握っています。
よくある質問
英語を話すとき、頭の中で訳してしまうのはなぜですか?
多くの場合、日本語で言い終わった形の文ができるのを待ってから、それを丸ごと英語に置き換えているからだと思います。返事の完成形を日本語でしか持っていないので、毎回そこから作り直すことになり、数秒遅れます。
英語の返事が遅いのは、単語力が足りないからですか?
必ずしもそうではありません。単語は知っているのに、日本語の文を経由するせいで遅れることがよくあります。一語が出てこない問題とは分けて考えたほうが、直し方が見えやすいです。
翻訳しないで話すために、今日できることは?
雑談でよく聞かれる質問を5つ書き出し、それぞれに自分の本当の返事を短い英文で1つずつ用意して、声に出してみてください。日本語の下書きは書かないのがコツです。
雑談の返事を用意しておくのは、不自然になりませんか?
その心配は私にもあります。ただ、用意するのは最初の一文だけで、その先はその場で話すしかありません。入り口に間に合うだけでも、会話が続くことはあります。
